私と仕事と身体の関係(2) ~5度目の異変~

成田から3時間半の、ささやかな「海外」から帰ってきて
2年半が過ぎていた。


私の生活といったら、あいも変わらずに
多忙を極めていた。


その頃私は、韓国人の女性が立ち上げた、とあるベンチャー会社で
営業の仕事をこなしていた。


毎日毎日、パンプスのヒールをすり減らし、
汗だくだくになりながら、
資料片手にホテルからホテルへと、飛び込み営業をこなす毎日。


時にはホテルのフロントで、何も知らされずに
担当者を2時間近く待たされた。

時には、怪訝そうな顔をしたホテル支配人が出てきて
私の差し出した資料と名刺を、その場で捨てられたこともあった。

その昔、私は色を扱う仕事についていた。

色を見極め、お客様にとって『一番似合う色』を探し、
時にはコンサルティングをし、時には色の研修を企業向けに行うという
研修講師をこなしていたのだった。

そんな私は、

『転職しても、色の仕事がしたい』、『研修やセミナーの仕事がしたい』

そう思っていた。


研修の仕事も、自分が講師として行う研修を
企業に売り込み、契約をとってくるという「営業」も兼ねていたのだが
ホテル向けの商品を売り込むという営業よりかは、
はるかに自分の「畑」に合っていると思っていた。

私は、常にそんな事を思っていたので、ホテルへの飛び込み営業という仕事は、
どうも自分の進むべき方向性とはズレていることを痛く感じていた。


その日も、足をくたくたにしながら帰宅の途についた。
もうすでに、夜の10時近く。。。

くたくただった。

一人暮らしということもあり、帰ってから食事の用意・・という気力が
私には全く残っていなかった。


スーツのまま、ベッドにドッとなだれ込むと
ストッキングをはいた足が、むくんでいるせいか、ギューっといたくなる。

帰ってきてから、しばらくはボーっと何も出来ない状態だ。

そんな時、電話がプルルルル。。と鳴った。

出ると、友人が仕事の帰りで、私のアパートの近くにいるので
夕飯がまだなら一緒にしよう、という誘いの電話だった。

その10分後くらいに、友人と私は駅で待ち合わせることにした。

間もなくすると、友人Bが現れた。

「お疲れ~~」と決まり文句で挨拶を交わすと
友人Bが、私に聞いた。


「この近くに、なんかおいしい所ある~?」

そこで私は

「えーっと。。そうだなあ。。入ったことないけど
 感じの良さそうなとこ あるよ。」


私はそう答えて、少しこじゃれた、駅に程近いダイニングバーへと
彼を導いた。


お互い、非常に忙しい毎日だった。

友人Bも、とある機械メーカーの営業職で、車での新規開拓営業を
毎日こなしていたのだった。
毎日毎日、外回り外回り・・
そんなこともあり、冬だと言うのに 顔が日焼けしている。


カウンターでおつまみを食べながら 私たちは話込んでいた。
お酒が入り、話は決まって 仕事の話になっていった。


今の営業先・・
そして 職場の上司との人間関係。
のしかかってくるノルマのプレッシャー。。


友人Bも、そして私も、「社会」という渦の中で
溺れないように必死にもがいている、そんな心境だった。


3杯目のグラスも空になり、そろそろお開きにしようと
席を立った。

ダイニングバーの外に出ると、冬のキリっとした空気が
身を引き締めた。

「さむーい! でも、気持ちいい。。」


夜空を見上げると、街中だというのに たくさんの星が瞬いて見えた。
ハーッと夜空に向かってはく息が やたらに白い。

この時間になって やっと怒涛の仕事から解放されたような
そんな気分を 私は味わうのだった。

そんな時。。
ギューっとした痛みが走った。
右腹部だ。 


「あ・・あれ?!」

私はとっさに右腹を押さえた。

ギューっ!ギューっ!ギューっ!!

痛みはだんだん大きくなる。

しまいに歩くことが出来ずに立ち止まり、
私はこらえきれず、おなかを抱えながら背中を丸くして
横を歩いている友人Bにこう言った。


「なんか、変なもの食べたかな?」


「おなかが痛くて痛くてたまらない!!」


そう告げた次の瞬間、私はとうとうその場にうずくまって 倒れこんでしまった。


「ちょっ・・ちょっと、どうしたの?!」


あわてた様子の友人Bが掛けてくれる声にも 
私は答えることが出来なかった。

それほどの激痛が右腹に襲い掛かってきていた。
そして、ついには吐き気までのぼってきてしまった。


「この状況・・・」
私の脳裏に目まぐるしく 今までの状況が浮かんだ。

「これは・・
 この2年半繰り返してきた、あの状況だ!」

そう。。
私は、このような身体の状況を半年に1度の割合で、2年半も繰り返してきたのであった。

あのささやかな海外旅行の帰り道、飛行機の中の「異変」を皮切りに
4回もこのような急激な状況を繰り返してきたのだった。

今回でこの「異変」も5回目だ。


私はうずくまり、うーんうーんとうなりながらも

「なんで?なんで?」

「また《アレ》が襲ってきちゃった!どーしてなの?」

そんな思いが頭の中をグルグルと駆け巡るのであった。

そんな状況の中、友人Bがその場で救急車を呼んでくれた。

救急車が到着するまで、私は道路につっぷした状態で
おなかの激痛とともに、激しく吐きまくった。


道路を通りかかる人々が、

「飲みすぎたのか?この女」

そんなセリフが聞こえてくるかのような視線を
私に投げかけているのが よく分かった。


・・というよりも 自分で勝手に

「きっと飲みすぎだって、思われてる!」

と思うのであった。


おなかが痛い!
強烈に吐き気がする!

そんな状態なのに、私は 自分が人からどんな風に
見られているのかが とても気になっていたのだ。

「なんでこんな時まで人の目、気にしてんだろ・・」


激痛と吐き気と、自分が人から「どう見られているのか」を気にする
自分の気の小ささに嫌気がさして 涙があふれて仕方なかった。

しばらくして、やっと救急車が来た。
到着までの時間が、私にとってはものずごく長かった。


担架に乗せられ、近くの救急病院まで運ばれていった。

決して大きくはない古びた病院の一室で
点滴を打たれてグッタリしている私に 若い医師がこう言った。

「今日は、家に帰るのは無理ですね。」
「2~3日は入院したほうがいいでしょう。」

私はそれを聞いた次の瞬間、


「2~3日ですって?!
明日仕事なんです!入院なんてムリです!!」と返した。


するとその医師は


「君ねえ、自分の身体と仕事、どっちが大切なの?」

「2~3日入院したら、即 婦人科のある病院で
 手術を受けなきゃダメです。」

「紹介状とレントゲン写真を渡しますから、とにかくすぐ
 手術の手配をしなさい。」

その言葉を聴いて、私はボーゼンとした。
・・というよりも、ショックだった。


「私が手術を受ける?!」

「しかも、婦人科?!」


言葉が出なかった。
真っ白になった。


一緒に病院まで付き添ってくれた友人Bが、

「仕方ないじゃん、早く分かってよかったんじゃないかな。」


そう慰めてくれてているのが分かったが、私は


「何が良かっただよ!ぜんぜん良くないよ!」

「仕事もあるし、一人暮らしだし、お金もかかるし、どうすればいいのよ!」

混乱と怒りと、不安な気持ちでいっぱいで
私は一人、落ち込むのであった。


***


都内の大学病院・大きな病院というものは 非常に混んでいる。


「すぐに手術を受けたほうがいい。」


さすがに私は、あの若い医師の言葉をすぐ実行に移そうと思った。
仕事も、あの韓国人女性の社長に断りを入れた。


「たぶん・・失業だな。」


決して余裕などない立ち上がったばかりのベンチャー企業にとって
「今働けない」状態の私などは、お荷物だという事情はすぐに理解できた。

そして、なぜ・・?
金銭的に苦しくなるのが分かっているのに、なぜか私は
気持ちが楽になるのを感じていた。


「それじゃあ、本当にすみません。失礼します。」

そう言って 社長と電話で最後に話をした時、
自分の頬がゆるむのを 感じるくらいだったのだ。


私は引き続き、都内の病院をあたった。
年明けにも すぐに入院・手術が出来るところを必死に探した。

だが、入院は出来たとしても、手術の予約が取れない、というのがほとんどであった。

「年末ですからねぇ、ウチと同じように
 都内はどこもいっぱいだと思いますよ。」

探しても探しても
返ってくる返事は どこも同じ。


「緊急って言われているのに・・ どうしよう・・」

仕事もなくなったのに。。
すぐにでも手術を受けなければならないのに。


今の自分の状況がとても不安だった。
そして、予約が取れない状況に 私はいらだった。


「入院・手術となると、お金がいる・・」
「保証人もいる・・」
「仕事もなくなって。。どうしよう・・」


そんな不安が肥大していった。

その当時、仕事のみならず、家族との関係も上手くいっていなかった私にとって
「保証人」というのは大きな壁であった。


「親には頼らず一人で生きる」

そんな意地?とも言える気持ちが、当時の私の中には強くあったのだ。


父と母との関係、そして父と私、母と私の関係に
ほとほと嫌気がさして 私はそう心に決めたのだ。

親から離れよう。

子離れしてもらおう。


そんな気持ちから 私は手術の「保証人」すら、親に頼むのをこばんだのだ。

親の変わりに、私は友人に保証人を頼むことにした。

その友人は、気持ちよく了解してくれたのだったが
病院側から


「親族でないと困る」という要請で 困り果てた挙句、
実姉になってもらうことになった。
彼女は、不安がりながらも引き受けてくれたのだった。

私が選んだ病院は、都内からは遠く離れた、ある県内の病院だった。

問い合わせてみると、比較的容易に手術の予約が取れ、
都内の大学病院の医師たちが 順番でやって来て診察すると言う
都内大学病院の付属機関だった。

「都内じゃ日がたちすぎる、ここにしよう。」

そう決めた私は、年が明けたらすぐに入院することに決まったのだった。


***

(3)へ続く・・


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