
こころって、自然と良くなっていくんじゃないんですか?
こころって、誰かに何かやってもらったら、軽くなったり悩みがなくなったりするものじゃないんですか?
こんな誤解って、よくあるなぁって思います^^;
こころは、自然に良くなっていったり・誰かに何かをしてもらうから、軽くなっていったりするものだ。。としたら、世の中にこんなに「悩み」や「苦しみ」があふれているのは、何か変な感じがしますね。
こころは、そのままほって置くと、悪いほうに悪いほうに転がっていきやすいものです。
自然に良くなっていくように見えたとしても、そこにはきっと、その人なりに悩みを「振り返ってみた」り、「考えてみた」りしたことが、大きく左右していることでしょう。
良くなる・・というのは、その振り返りや考えてみたりしたことによる「気づき」があって初めて良くなるものです。
自然に良くなった、と思えるのは、その途中の段階を忘れていたり意識していないときに、そう思えるのかも知れませんね。
こころは、例えて言うならばパソコンのようなもの・・でしょうか。
買って間もない頃は、機敏によく動いて反応速度も速い。
なのに時間が経ってくると、ドンドン遅くなってきたりひどい時には動かなくなってしまったり。
これって、パソコンの中が、使えば使うほど時間の経過とともに、どんどんいらない情報などで「汚れて」いくから起こることだと思います。
こころもそれと同じ。
幼い頃は、どんなことにも楽しめて、そのときを生きられる状態だった。
でも・・
生きていけば生きていくほど、様々なことが入力されて影響され続けていきます。
その影響を、私たちは「いい感じ」「悪い感じ」と反応して感じているのです。
「悪い感じ」と感じたくないのに・・。
どうすればいつも「いい感じ!」って平和な気持ちになれるんですか?
それは、いつも自分のこころを見守る必要があるのです。
見守るとは・・、「いやだ」と感じる自分がいればそのこころを見つめて吐き出し、悪いほう悪いほうへ転がって行ってしまうのを、自分の「意思」で止めてくという働きのことです。
ただ黙ってみていれば、こころはそのまま悪いほうへいってしまう。
だから、いつも「良いほうへ」行ける様に、自分のこころを導く必要があるのです。
これは、言ってみればこころの筋トレ。
身体の筋肉も、運動して鍛えていけば、それだけ丈夫に鍛えられていくように
こころの筋トレをすることによって、「悪いほうへ悪いほうへ」行くことが、なくなっていくのです。
だから、そこに必要なのは自分の「意思」。
「良くなろう、悪いほうから抜け出よう」、そんな意思がとっても大切。
その意思を持って、こころを見守って鍛えていくことによって、今までは悪いことのように見えていたものにも、その意味を汲み取ることが出来たり、過剰反応することがなくなっていったりするのです。
こころって、自然と良くなっていくものではなくって、鍛えていくものなのです。
楽しく・楽チンに、自分の個性を生かして生きていくためには、この鍛えるということが大きな役割を果たしていきます。
むずかしそー!・・なんて思う必要はぜんぜん無し☆
子どもの頃、自転車に乗る練習をした時のように、始めは出来なくっても必ず出来るようになっていくものなのです。
神様はこうして私たちを作っています。(私・みどりのセラピーは無宗教ですが、そう思います^^)
練習して・鍛えて。
そうしていった人には、必ず「出来るようになる」っていうご褒美を与えてくれます。
